適当に生きる人間になってしまったと、日々つくづく感じてしまうようになってしまった件。

 

 

適当に生きる人間になってしまいました。

 

何が適当なのかと言うと、全てにおいてです。

 

時間に適当。

お金に適当。

夢が適当。

生活リズムが適当。

友達付き合いが適当。

バイト先の上司とのコミュニケーションが適当。

部屋の片付けが適当。

断捨離が適当。

卒論の進捗が適当。

女磨きが適当。

単位にかける思いが適当。

毎朝のヘアセットが適当。

就職先が適当。

ダイエットが適当。

親との連絡が適当。

不揃いなティーセットが適当。

枕カバーと布団カバーが適当。

栄養バランスが適当。

化粧水を付けるのも適当です。

 

いつからこんなにだらしのない人間になってしまったのか、悩み始めると暗い気持ちでいっぱいになってしまいそうですが、一度懺悔のつもりで、文字に起こしてみようと思います。

 

宜しければ、わたしの懺悔にお立会いください。

そしてどうかわたしの怠惰を笑ってください。

 

 

これまでの自分史を振り返って、適当に生き始めたきっかけを考えましたが、いつから、というわかりやすいポイントはなく、よく考えると昔からずっと、適当な人間のままなのかもしれません。

 

それにしても最近の生活の酷さは自分でも嫌になるもので、やはり最近の生きるモチベーションに対しては特別適当だと思います。

 

昔、思い出したのは小学生の頃です。

 

宿題をしない子供でした。

ギリギリまでしませんでした。

ギリギリまでしなくても何故か平気でした。

 

自分の中のリミットを伸ばす度に、なんとかなる、といつも自分に言い聞かせています。

 

例えば夏休み、始まってすぐは少しモチベーションがあるんです。

一日、二日で全体の3/10程、すぐに出来てしまいました。

 

自分で言うのもなんですが、ポテンシャルがあるんです。

自分は人よりも速いペースで効率よく宿題を終わらせることが出来るのだと知っています。

だから、今頑張らなくてもいいや、って、毎回なります。

 

ともかく夏休みは過ぎていきます。

夏休みは半分しかありません。

でもまだ大丈夫。

あと半分もある。

 

気がついたらあと1週間しかありません。

でもまだ大丈夫。

あと1週間もある。

 

残っている宿題の存在がストレスになってきます。

あと3日しかありません。

 

せめてここで残りの宿題に取りかかれたらよいのですが……わたしはこう思います。

 

まだ大丈夫。

あと3日ある。

でもそろそろちょっとやばいかも。

少しだけやろ。少しだけ。

この場合だいたい5/10まで取り組み進めることが出来ます。

 

そしてなんと前日。

必死に宿題に取りかかりますが、終わりません。

読書感想文が残ってます。

わたしはこう思います。

 

もしかしたら、明日は提出しないかも。

始業式だけだし。

一日くらいなら、忘れました、が通用するし。

 

このとき読書感想文の存在はとても大きなストレスです。

が、何故か、このストレスを消化しないことでストレス発散できる、と思い込んでいる節があります。

 

一度、忘れました、ら、二度目も変わらない気がします。

三度目、現実逃避です。

四度目、もしかしてやらなくて済むかも?

五度目、先生、このままわたしの読書感想文のこと忘れていくかも。

 

意味がわかりませんが、ともかく深層心理的には取り組みたくないが勝ちます。

 

忘れました、を続けること1週間。

どういう経緯か、母が、わたしが読書感想文をやっていないことを知ります。

激怒。

雷落下。

わたし直撃。

我に返って深く反省。

考えればわかることなんです。

反省すべき状況にあること。

そしてすぐ忘れるんです。

学べば良いですのに。

 

わたしはやれば出来る子です。

1時間半で片付けられるんです。

しかも表彰されちゃったりします。

 

やればいいのに、でも何故かやりたくないに支配されていつも進めないのです。

 

この状態が、わたしの生活の全ての事柄において起きています。

 

 

堕落の中で上手くいくことがあります。

特に時間を見ていなくても、だらだら用意してだらだら学校に向かっても、遅刻をまぬがれたり。

 

レポートを遅れて適当に書いて提出しても、内容において何故か褒めちぎられたり。

 

他の人が三日かけて必死にテスト勉強する中、テストの直前30分のこれまた適当な見直しで、単位が取れたり。

 

ただもちろんなんとかならないことの方が多く、わたしの堕落した生活の怠惰な態度のせいで人に迷惑をかけてしまうこともあります。

 

ものすごく申し訳なく感じ、罪悪感で胸がいっぱいになり、気分が落ち込み、何もしたくなくなり(最初から何もやり遂げていませんが)、生活の他の面も崩れていきます。

 

 

ある一つのストレスは、それを潰さない限りずっと胸の中にいます。

 

例えばレポートはやらない限り消えないのです。

 

でも、やらないのはわたしです。

 

そしてストレスは期日が迫るにつれて大きくなっていき、期日を過ぎると一気にはじけてそこには罪悪感で真っ黒になったわたしが残ります。

 

でも、どうしてもすぐにやらないのはわたしです。

 

どうして課題をやらないのか、理由はありません。

やらなくてはいけないということは知っています。

ただ逃げているだけなのです。

 

 

書いていて情けなく感じますが、簡単な話で、つべこべ言わずに何でもやればいいんですよね。

 

わたしに足りないのは、目の前の課題を一つずつ乗り越えていく、そんな当たり前の努力です。

 

わたしの中に満ち溢れているのは、わたし自身に対する甘さと逃げの習慣、そしていつも何かで真っ黒になっている罪悪感のかたまりです。

 

 

こんな自分を変えたい一心、これがわたしの性格なのだと諦めている部分もあります。

 

適当に授業を聞いて、適当に塾に通い、県内上位の高校に入学しました。

 

適当に部活に励み、なんとなく副部長を引き受け、なんとインターハイに出場出来ました。

 

適当にまた受験勉強に取り組み、今度は本命には落ち、適当な大学へ。

 

適当に授業を聞き、適当に単位を取り、なんとなく留学をして、適当に単位を落とし、なんとなく公務員を目指し、適当に勉強して、もちろん合格するわけもなく、適当に就活を初め、適当な就職先が決まり、適当に学校に通い続けて、適当に単位を集めています。

 

適当に生活していてもなんとか生きていける力、このポテンシャルに少しでも優位性を感じてその上で胡座をかいているわたしは救いようのない大馬鹿者です。

 

神にでもなったつもりです。

 

 

生死に関わるような痛い目を見れば、地獄に落ちれば、初めて後悔して人になれるかもしれないと思います。

 

 

適当、適当と言っているだけで適当な自分につくづく腹が立ってきました。

もし小説の主人公がこんな人間だったら、間違いなく本を閉じてますし破り捨ててます。

いらいらしますし、Twitterに、何やってもダメなやつっているよね、ってレビューを呟いてます。

 

神のようなゴミです。

 

 

適当に生きていない部分もありますが、適当に生きている部分が大きすぎて、真面目に生きている自分がどこにいるのかわかりません。

 

適当がわたしを殺します。

だめになります。

わたしが適当を作り、適当がわたしを乗っ取ります。

 

適当で溢れた泥水の中で、必死に、過去の栄光を探していますが、そんなものはないみたいです。

 

何事においても100%の力を注ぐことが出来ないわたしの人生、澄みきることのない泥水。

 

飲み込みすぎて体が重いのですが、泥水の生産速度の方が速いので、もうだめです。

 

適当に殺されます。

 

なんて、ここ最近で一番ネガティブな今晩、とりあえず嫌いな自分についてまとめましたら、ため息の数だけ、入れ替わった新しい空気で、体が軽くなってきました。

 

適当にもう少し、適当に頑張ります。