お友達のお友達の結婚式に出席した件。

 

 

ほとんど初めてと言っても良い結婚式の出席でした。

新郎さんとは、あんずちゃんたちと一緒に1度難波の居酒屋で一緒にご飯をしたことがある、それだけの面識でした。

 

小学2年生の頃の叔母の結婚式以来でした。

着慣れない綺麗なワンピースを着て、履きなれないヒールの靴を履くだけで、体の底からわくわくしました。

 

当日はとても寒く、雨も降っており、行きの電車の中でまだ見たことのない花嫁さんの心配をしてみました。

きっと純白のドレスというのは雨に濡れない方がいいよね。

それから自分の紺のワンピースの裾を摘んで、母に借りた紺のハイヒールの足の甲を見て、また嬉しくなるのでした。

純白のドレスではないけれど、勿論脇役の中の脇役で、どうしてわたしなんかが行っていいのか不思議なくらいだけれど、それでもわたしのお友達から結婚式を催す人が現れる、その事実だけで、今日の身なりだけで、今日は満足でした。

 

神戸で行われるお式の前に、あんずちゃんとお茶をすることになってました。

わたしからお誘いしました。

だってかわいいドレスを着たわたしを少しでも長く楽しみたかったし、少しでも多くの人に見てもらいたかったし、きっとあんずちゃんもそう思っているかもしれない、と思いました。

女の子ってそういうものでしょう?

 

硬いヒールの先に収められたつま先が案の定痛くて、この際わたし用のパーティーハイヒールを買ってしまおうかと思いました。

自分用のお高い特別な靴への憧れでした。

そして今日という日を万全な格好で臨みたかったのです。

でもやめました。

やっぱり高かったからです。

調子に乗って、今日が終わったら次いつ履けるかわからない目先のキラキラしている靴を掴むよりも、月末のBIGBANGのライブのグッズの方が使う頻度は多いですし、手に入れた幸せを感じる機会が多い、そっちにお金をかける方が賢いと考えました。

 

あんずちゃんと合流して、あんずちゃんはパーティー用のイヤリングを買いました。

わたしは当日にイヤリングを買い揃えたあんずちゃんの気持ちがとてもわかりました。

イヤリングなら、わたしも買ってました。

 

その赤いイヤリングは、今日のあんずちゃんの赤いワンピースと同じで、ピカピカ光ってました。

わたしは紺の、あんずちゃんは赤の、ウエストにリボンを巻くタイプでおそろいだね、と笑ってました。

女の子は「おそろい」に弱いし、少なくとも今日のわたしたちにとっては「おそろい」はただただ嬉しいものなのでした。

 

それから通りかかった雑貨屋さんでiPhoneケースを衝動買いしてしまいました。

いつもなら30分悩むものを、今日はすぐに決めてしまいました。

わたしの好きな猫の絵の。

あんずちゃんも文鳥の絵のものを買うか迷っていたので、もれなくお勧めしました。

やっぱり「おそろい」だから、そしてやっぱり今日という日だからかもしれないのでした。

わたしもあんずちゃんも会心でした。

 

それから本来の目的のLiptonの紅茶とケーキをいただきました。

コートを脱いで席に座るとますますわたしは調子に乗りたくなるのでした。

お店の中で1番、わたしたちが可愛い格好をしているかもしれない、そう思える状況に酔っていました。

大きないちごのケーキとロイヤルミルクティーを注文して、上品に口に運びました。

一人で飲むいつもの紅茶よりも幸せなのは間違いありませんでした。

 

電車に乗って、三ノ宮に向かう間にお互いのiPhoneケースを褒め合いました。

とても可愛い自分たちのケースを見せ合いたかったし、見合いたかった。

今日はそういう日なのでした。

 

電車を降りて、ひのさんとあっしゅくんと合流して、タクシーに乗って、みんなで教会へ向かいました。

朝心配していた雨は上がって、夕焼けが綺麗で、心からほっとしました。

新郎新婦の方々にとって、今日という日が人生で1番良い日になりますようにと密かにタクシーの中でお祈りしました。

車内は暖かくて少し眠たくなりました。

 

教会へ着いて、署名して、御祝儀をお渡ししました。

母に習ったそれっぽっちのご作法すらしどろもどろで、頭の中でどれだけお高くとまっても、経験不足は明らかなのでした。

 

待合室のわたしの知らない皆さんも勿論綺麗なパーティードレスを着ていて、わたしはやっと緊張してきました。

凄いところへ来てしまった、とやっと焦り出しました。

同時に、本当に来てもよかったものか不安になり、周りばっかり気になりました。

あの人は新郎新婦の方とどういう関係なのだろう、あの人はとても場慣れしている雰囲気だ、とかばかり考えて、あんずちゃんたちが楽しく話している内容に集中出来ませんでした。

あんずちゃんは久しぶりにお友達に会えてお話出来て、とても楽しそうに見えました。

あんずちゃん、ひのさん、あっしゅくん、あとわたしがかろうじて知っている二人の方と一緒にその日は行動していました。

 

わたしは敵か味方かわからない人が苦手で、少なくともネットではわたしにとっては敵だったその人を、最初は敵か味方を見分けることに必死になってましたが、途中でやめました。

疲れるんですもん。

今日はそういうのは場違いに違いありませんでしたし、神経をすり減らしているのには勿体ないと思いましたから、考えないようにしました。

でもやっぱり時々少しは思い出して、考えて、その度に上手くやれない自分のことが嫌になるのでした。

 

結婚式はロマンチックなものでした。

初めて拝見する新婦さんのお顔を見て、わたしはもっと緊張しました。

来たる、自分が主役になる日のために、お二人の一挙一動を目に焼き付けておこうと思いましたが、知らないことが多すぎて、頭がパンクしました。

そのうちに、やっぱり自分なんかがこの場にいても良いものなのか、参列しても良いものなのか、この席は誰か他の人のものであるべきではなかったのか、不安になっているのでした。

 

ブーケトスでは、間違えて受け取ってしまって、他の女性の方々の前でお前誰だと言われたらどうしようか、と考えていました。

写真撮影では、後で誰もがその写真を見返したときに、こいつ誰だ、何故いる、と思われたらどうしようか、と考えていました。

どちらもとりあえず、時は過ぎました。

 

披露宴でわたしは泣きました。

主役のお二人のご両親や、ご兄弟が泣いていらっしゃるのを見る度に、もらい泣きするのでした。

お二人はいろんな方に支えられてこの式を決行出来たのに比べてわたしは誰よりも無力に違いありませんでした。

新郎新婦のお二人、その御家族、前に立ってスピーチする関係者の方々、みんな緊張しているようでした。

わたしは前に立って何か出来る立場のわけがないので、その分リラックスして感動する側にいられるわけでした。

新郎新婦の方々に生まれてきてくださって、ありがとうございます、とどの面下げても伝えたい気持ちになりました。

どうしてわたしなんかがこの場にいることが出来るのか、と考え続ける反面、感動の一瞬一瞬を共有させていただけて、結婚式という勉強させていただけて有難いと感じてました。

乾杯の仕方や、お食事の食べ進め方や、スピーチの仕方や、手紙の読み方等、勉強してもしきれませんでしたが、とにかく断片的に一生心に残るものだと思いました。

わたしの心の中は複雑で、少し遠くから見る主役のお二人の顔や立ち振る舞いさえも感動の要因になるのでした。

この結婚式にお誘いいただいた、新郎の方には感謝してもしきれませんでした。

お誘いいただきありがとうございます、と場違いかもしれない言葉を何度かお伝えしましたが、どれ程伝えられているのかはわからないのでした。

 

帰りの電車で少し眠りました。

 

それから寝過ごすことなく最寄り駅に着いて、すぐ、ウエストのリボンを解きました。